プロフィール

『牛王』のご紹介

    中上健次
    中上健次

 中上健次という作家がおりました。1946年8月2日、和歌山県新宮市出身。先鋭的かつ土俗的な方法で、紀州熊野を舞台にした数々の小説を書き、ある血族を中心にした「紀州サーガ」と呼ばれる独特の土着的な作品世界を作り上げ、1976年(昭和51年)『岬』で第74回芥川賞を受賞。戦後生まれで初の芥川賞作家となりました。1992年、腎臓癌の悪化により46歳という若さにて無念にも死去しています。

 その中上健次が、生前の1990年6月に「熊野大学」という市民大学を和歌山県新宮市に立ち上げました。”建物もなく、入学試験もなく、卒業は死ぬ時”をモットーに自主公開講座を定期的に開設し続け、中上の志に賛同する多くの学者,評論家,作家等が中上とともに講師を務め、また日本各地から多くの市民が聴講に集まりました。中上の死後、彼の志を継ぐ有識者および篤志家の手によって、毎年8月に「熊野大学夏期セミナー」が開催されています。全国から参加者を募り、和歌山県新宮市の温泉宿泊施設にて、シンポジウムを中心とした2泊3日の合宿形式セミナーが行われているのです。

 毎年のセミナー合宿を過ごすうち、熊野大学スタッフと夏期セミナー常連参加者たちとの間で”文集を作ろう”という話が持ち上がりました。それがこの『牛王』の始まりです。全て手弁当で、こつこつと出来る範囲のことから始め、2002年より毎年1号ずつ地道に発行し続けて今日に至ります。年を経る度に内容も充実度を増し、現在ではかなり高い完成度を実現できていると自負しております。

 『牛王』は、利潤を追求する商業誌でも、参加費を集める同人誌でもありません。熊野から発信する小さな文集です。それでも、少しでも世の中のためになれば…と思い、私共は精一杯の気持ちを込めて編んでおります。ここに本誌を紹介できる機会を得られたことを、光栄に思います。少しでも興味をお持ち頂ければ幸いです。

『牛王』の名の由来

「牛王って何?どういう意味?」とよく聞かれます。以下に牛王2号のあとがきを転記致しますのでご参照下さい。

 

牛王とは、「牛王宝印」の略である。山伏らが関与した寺社の護符を、そう呼ぶ。密教では牛王加持と称し、最もすぐれたものという意味があるらしい。その昔、熊野比丘尼と呼ばれる者らの手によって「熊野牛王」が全国各地へ配られた。

小誌はその名にあやかった。新聞配達人が、日雇労働者が、そして新進のプロ作家や評論家が、また大学教員らが文を綴った。夏、縁あって熊野に集った者らの想いをここ熊野から見知らぬ貴方へ向けて今、発信する。それぞれの想いは貴方の胸のどこかに、届くだろうか…。